第五回JIDAフォーラム「デザイン思考」のリューギ | Industrial Design

第五回JIDAフォーラム「デザイン思考」のリューギ

それぞれの現場で求められる本質的な方法、思考、理念へ向けての探求

レポート:井原恵子

タグ:JIDAフォーラム,デザイン思考    カテゴリー:EVENT

 

2016年2月12日、「デザイン思考」をめぐる連続フォーラムの第5回が開催された。第1回の開催された2年前とくらべ「デザイン思考」は世に浸透し、さまざまな形で活用され、一方で使い方の適否や、万能ではない面も浮上してきた。今回のフォーラムでもそれぞれ大きく異なる現場での実績を軸に、デザイナーとして「デザインの思考」を活かしていく道についての議論が交わされた。

これまで4回のフォーラムでは「デザイン思考とは何か」の基本的な解題に始まり、実務での取り組み紹介、現場の悩みや疑問、そして狭義の「デザイン思考」にこだわらない幅広い分野での「デザイン的・デザイナー的思考力」の展開へと話題を広げてきた。 今回の第5回では、デザインの思考力によって長期的に活動を継続している現場から、3名のスピーカーが登壇した。 企業内で、デザイン部門の枠の外でデザインの視点を活かしてきた、富士フイルムの小島健嗣(こじま けんじ)氏、デザイン部門が全社をリードする形でのブランド強化を進めているマツダの中牟田泰(なかむた やすし)氏、そして日本有数の老舗フリーランスデザイン事務所、GKデザイングループの山田晃三(やまだ こうぞう)氏。モデレーターは千葉工業大学の山崎和彦氏がつとめた。

デザイン部門の外での「デザイン」活用

最初のスピーカーは、富士フイルム株式会社のイノべーション戦略企画部で統括マネージャーをつとめる小島氏。「イノベーションとデザイン思考」と題して、企業内でデザインに求められるものが過去20~30年間で大きく変化してきた経緯を、自身の活動と重ねてたどり、あわせて過去10年間でオープンイノベーションのために作ってきた仕掛け、その中でデザイン・デザイン思考が果たしてきた役割を紹介した。  小島氏は現在、経営企画本部という部門に所属しながら、オープンイノベーションハブの館長というもうひとつの肩書きを持つ。新規事業への取り組みの中でデザインを活用する立場から、デザインそしてデザイナーが部門の枠組みを超えて、企業内のカタリストとして発揮する機能を語った。

産業機器のデザインからソリューションデザイン、そして技術の可視化へ

小島氏はもともと富士フイルムの工業デザイン室で産業機器のプロダクトデザイナーとして、印刷機械などをデザインしていた。ところが1980年代に始まる印刷技術のデジタル化とともに、90年代に入るとインターフェースの画面デザインへと仕事内容がシフトし、さらに富士フイルムがプリントサービスを打ち出していく中で「フジカラーの年賀状」等のデジタルコンテンツのデザイン、ユーザビリティデザイン、そしてソリューションデザインも手がけた。  2000年代に入ると写真フィルム市場の急速な減衰とともに、富士フイルム全体で新規事業を真剣に模索するようになる。その中で、まだ商品の形になっていない技術ポテンシャルといった抽象的なものごとを可視化するデザインの力に注目が注がれ、課題を可視化して解決するソリューションデザインに力を入れ始める。2011年に小島氏はデザインセンターから技術戦略部に移り、以後「技術広報」の役割を担う。富士フイルムがどういう技術を持ち、どういう仕事をしているかを可視化して伝え、新しい仕事を立ち上げるのが役目だ。

基幹分野が消えたとき、その技術で何ができるか

富士フイルムはもともと「フジ写真フイルム」の旧名のように、写真フィルムのメーカーだった。1934年に映画フィルムを作り始め、その技術を使って写真フィルムを生産してきた。

ところが2000年をピークに写真フィルムの市場は激減し、新しい戦略構築を余儀なくされる。ピーク時に売り上げの半分を占めていた写真フィルムは、毎年2~3割のペースで需要が落ち、10数年間で1%になったと言う。

そこで考えられたのが、写真フィルムの技術を新しい市場に活かすことだった。同社ではもともと、世界初のフルデジタルカメラ開発、TVカメラ用のレンズ、RGBの分光フィルターなど周辺分野への進出には積極的だった。薄膜を作る技術、その素材である人工コラーゲンの技術、写真の色褪せ対策で培った活性酸素をおさえる技術などを活用して、生ビールを濾過するフィルター、X線フィルムに始まる医療用の画像診断技術、最近ではインフルエンザ薬の開発や再生医療にも進出している。

社内体質を変えるために導入された「デザイン思考」

富士フイルムでは12のコア技術を核に、その組合せで新しい分野への参入を考えてきた。その中で自分たちの従来の枠組みの中だけでなく、社内外のコラボレーションから新しい可能性を探る必要がある、という考え方が生まれた。

ところがそれまでの富士フイルムの体質は閉鎖的で秘密主義、社内の部門間の交流すら決して活発ではなかったと言う。そこで社内資産を見直し、検討を重ねて出てきたのが「融知創新」、知恵を融合して新しいものを作る、というコンセプトだった。

このコンセプトを体現するひとつが、2006年に作られた「先進研究所」だ。閉鎖的だったそれまでの研究所から脱却しようと、ガラス張り、大部屋、共有スペースを通らないと会議へ行けないレイアウトなど空間の工夫を凝らした。しかしそれだけで会話は生まれない。そもそも物理屋さんと化学屋さんの共通言語がない、というレベルでは、社外との知的なやりとり以前の状態だった。

そこに一石を投じようと取り入れられたのが、米IDEOの「デザイン思考」の手法だった。2006年から6年間にわたり、観察とものづくりのワークショップが行われた。研究者を集めて、とにかく観察し、ものをつくる活動を行い、その結果を形にして社内で会話できる状況をつくった。

 

デザイナーズウィーク出展から、常設の「技術を見せる場」へ

2007年からは東京デザイナーズウィークへも出展し、そこでも「形にして見せる」ことの重要性を痛感した。社外に対して自分たちの技術や企画を説明する経験から、自分たちの話がいかに外へ通じないかも体験した。  たとえば「色素に強い技術」を訴えるにも、化学屋さんがいくら亀の甲を見せても一般の人には通じない。でも、その技術を使ってカラフルなオブジェを作れば、理屈の通じない異分野の人にも魅力が伝わり、会話が発生する。社外展示でのこうした体験のフィードバックは、コミュニケーションの重要性と効果を実感させた。

こうした経験を通して構想された技術を展示する常設の場などを含めて、2013年にオープンイノベーションハブが開設された。常設展示を通した社外とのコミュニケーションを共同開発につなげるための場だ。一般公開ではないが、開館から現在までに600社が訪れ、また社員が自分の部署だけではなく全社の技術を知ることのできる、社員教育の場としても活用されている。

課題と技術を結びつける

オープンイノベーションハブは、商品や説明パネルを並べるだけでなく、顧客企業が自分のもっている課題を富士フイルムと結びつけて考えられる、共創の場としての役割に力を入れている。

それは同時に研究者自身が、自分のやっている技術を世の中にどう役立てられるか、に気づくための場でもある。そのために活用されているのが「アナロジー思考」、コア技術をエピソード化して説明する手法だ。

たとえば「光をコントロールするフィルム」「電気のエネルギーを熱に変換するフィルム」等、その技術が「何を扱い」「どんなことができるか」の文脈を語ることで、今ある技術を新しい分野に応用する思考を導けるよう、技術の機能価値、顧客価値にフォーカスする見せ方を工夫している。こうした見せ方も今まで十分に実現できなかったことであり、デザインの力に寄せられた期待のひとつだった。

オープンイノベーションハブは富士フィルムと顧客企業の双方が、単独で解決できない課題をオープンに語り合い、自社だけでは生まれないイノベーションにつなげる場であり、そのためのデザイン、デザイン思考の活用に力を入れている。

それは欧米流のデザイン思考やイノベーションの考え方とは少し違うかもしれない、と小島氏は言う。それはあくまでも、自分たちの持っている技術と顧客企業の技術・課題を組み合わせていく、コラボレーションによるイノベーションだ。今まだない未知の技術に取り組むことは、将来の課題としてひとまず置いている。現状は課題に対して応える訓練の段階、と小島氏は語った。

イノベーションは化学反応、デザイナーは触媒

富士フィルムのオープンイノベーションハブは開館から2年間の活動でその成果を経営層からも認められ、アメリカのシリコンバレー、続いてオランダにも同様の拠点をオープンしている。また場所としての「ハブ」だけでなく、持ち運べるキット「Open Innovation To Go」も作られた。

また社内の異分野間の活動として、営業と研究との交流も始まっている。もともと研究所では内部での発表会を行っていたが、顧客のニーズや課題に直接接している本社の営業とはなかなか接点がなかった。そこで研究所の発表を、本社の他部門社員、営業やスタッフが聞ける場で「オープンイノベーションジャム」として開催しはじめた。こうした試みも、研究者と営業の双方に得るものがあったという。

様々なレベルでの共創を促す動きの中で、デザインは見えないものを可視化し、異質なものをつなぎあわせ、具体的な形やモノにする力をいかんなく発揮してきた。それを小島氏は「イノベーションは化学反応、デザイナーは触媒」という言葉で表現した。

ブランドの原動力となった、デザインの思考

次に登壇した中牟田氏は「『マツダデザイン』思考の流儀」と題し、ここ数年ユニークな存在感を見せるマツダブランドの、核となっているデザインの取り組みを紹介した。いわばデザインをどう考えてきたか、という意味での「デザイン思考」である。自動車をとりまく環境が大きく変化する中で「美しい道具」という理想にこだわり、「アート」としてのクルマを生み出すためにデザイン部門が先導して社内全体を巻き込んだ取り組みを紹介した。

中牟田氏は自分の仕事の原点をたどって、50年前の子供時代にプレゼントされたミニカーの記憶にさかのぼる。コルベットのミニカーに心をつかまれた少年は、人の心を魅了するものを自分でも作りたいと思い続け、デザイナーの道を歩んだ。中牟田氏が仕事に悩んだときに見返す1960~70年代のクルマは「エンジニアとデザイナーが共に、純粋な美や機能を求めた」ものづくりから生まれたものだと言う。

時代や社会に流されないものづくりをめざして

しかし21世紀の今、クルマをとりまく環境は大きく変化している。現在のクルマづくりはエネルギー事情や情報環境の変化、安全や環境性能など社会的要因、膨大な数の製品を送り出すビジネス効率など、様々な制約や課題を負ってのものづくりだ。

その中で自分たちのものづくりの原点が再度問われている、とマツダでは考えた。マツダのデザイン哲学である「人馬一体」は、工業製品でありながら人が愛着を持ち、心を通わせられるものを志向してきた、と中牟田氏は言う。それは機能的価値だけでなく意味の価値へ、消費されるデザインではなく意味を伝えるデザインへ、大きくかじ取りをすることを意味する。

これと切り離せない特徴的な考え方として、開発の中で他社に対抗するのではなく、自分の理想を掲げ、独自の発想で挑戦を続ける姿勢がある。これは実はマツダの中に昔からあった志向性でもある、と言う。ロータリーエンジンといい、ロードスターといい、マツダが大きな足跡を残してきた製品はいずれも「つくりたいもの」が先にある。それまでの例にとらわれない発想による「最初にビジョンありき」とも言えるものづくりだ。

美しい道具としてのクルマを生み出すためのバックボーン

こうした背景を持つマツダデザインの目標を端的に表す言葉として、中牟田氏は「クルマは美しい道具でありたい」という言葉を挙げた。美しい道具は生活を豊かにする。クルマは人の手で作り上げた美しいフォルムをまとった、心を込めたアート、心たかぶるデザインでありたい、と。

こうしたいわばプレミアムな価値を生み出すために、マツダでは車種横通しの「一貫性」と、それぞれの「個性」の両方を大事にしている。一貫性を支えるのが、2010年以降展開してきた「生きた動きのデザイン」、「魂動(こどう)デザイン」だ。その目標となる理想形を車の姿に置き換えたものが、デザインビジョンモデル「しなり」。鉄の塊である車に生命を吹き込む、生きた形の研究から生まれた「魂動デザイン」の理念を軸に、マツダでは表面的な動きではなく、骨格・プロポーションから来る動きの表現をめざしてきた。

「手で作る」を工業製品で実現するためのプロセス

マツダではデザイン開発において技術・ビジネスの要因の上位に「アート」を置き、人の手で作り出すことにこだわっている。生きた形を作るには、人の手で作るしかないと考えるからだ。  それを具現化するために、デザイン部門では「一人一人がアーティストたれ」「頭ではなく、手で考えろ」という意識改革をデザイナーに求めた。デザインの手順においても、美を作り出す「仕込み」を開発の初めに置くというプロセス改革を行った。このステップを担うのが、中牟田氏の率いるアドバンスデザインスタジオだ。

ここではクルマの姿を描く前に、イメージを先鋭化させる作業を行う。まず表現するイメージを明確にし、次にそれをクルマの形に近づけていく、という手順だ。スピード、パワーなどの抽象的なイメージを二次元の絵として描き、それをクレイモデラーが独自の発想を加えつつ抽象的な造形のスタディとして立体化する。マツダのデザイン部門には、こうしたフォルムのスタディが多数ストックされている。蓄えた多数のオブジェの中から、さらに形が生まれてくる。

このプロセスの中では、モデラーも単にデザイナーの描いた絵を立体化するのではなく、クリエイションに加わる。クレイモデラーが純粋な立体造形とプロポーションを探究し、また金属やファブリックなどの素材を使ってより実車に近いモデルを作るハードモデラーも、デザインの質を作り込むアーティストとして腕を振るう。その成果は昨年のミラノサローネのマツダブース展示でも「魂動バイク」やソファ、テーブルなどの形で披露された。

「美を理解するエンジニア」との共創

こうしたデザイナーやモデラーの「アート活動」を量産車につなげる上で要となるのが、チーフデザイナーだ。チーフデザイナーはアート、テクノロジー、ビジネスの3つをつなげて、量産車として具現化することを考え、クルマのデザインとして着地させる。

さらに、そのデザインを実際に量産車として実現するには、デザイナーだけのでなく他部門との共創が必要となる。実はここがマツダデザインのポイントとも言える。

マツダではデザイナーの作り出したデザインを製品として実現するプロセスを「共創」として全社を巻き込もうとしている。それはデザインイメージをできるだけ先鋭なまま生かして社会に出していく意志でもあり、裏を返せばデザインが企業の発信に責任を持つということでもある。

これまでのクルマづくりはデザインよりもレイアウトが先だった。いくらデザインに力を入れても、自動車はレイアウト、つまりパーツの配置優先で作られてきたから、デザインは表層的な表現に頼らざるを得ず、他社との違いもつけにくかった。「魂動デザイン」に取り組み始めてからマツダでは、デザインから先にプロポーション、つまり大きな構成を提案し、後からレイアウトをチューニングする手順に転じてきた。塗装についても、例えばテーマカラーとなっている赤は塗膜を何度も重ねなくては出せず、ショウカーならまだしも普通なら量産車には使えなかった色だと言う。実際にマツダデザインを実現しているのは「デザインを理解するエンジニア」であるとも言える。これがマツダの強みだと中牟田氏は言う。

技術設計から製造の現場までが同じ「意味的価値の目標」を共有し、伝えていく。デザイナーとエンジニアのギャップを埋める活動は、工場の製造現場にも及ぶ。部門の壁を超えてデザインを、美を理解するエンジニアとの共創によって「意味的価値」を創出するデザインが具現化される。それは多角的かつ辛抱強い取り組みによって初めて可能なことで、「簡単に作れる美はない」というのがデザイン本部トップの持論でもあるという。

営業、販売店まで、一貫して同じ方向性を持たせるために

こうした活動を支える姿勢が、全社を通じてのデザインや意味的価値への理解とリスペクトだ。「意味的価値の発信」には、もちろんエンジニア以外の部門も関わってくる。たとえば一貫性を重視していく中で、マーケティングからは「なぜみんな同じようなデザイン、同じような色なのか」を再三問われた。次々変化するデザインだけでなく、一貫性を持たせることで世の中に「あれがマツダだ」とわかってもらうことの意味を理解してもらうのは、容易ではなかったと言う。

一貫性したブランドのデザインは今、製品にとどまらず全タッチポイントへ展開されつつある。全てをデザイン部門の視点から、一貫した意味的価値を発信できるように変えていこうとする活動は、目黒碑文谷店などを皮切りとしたディーラーの店舗デザイン、イベントのデザインにも展開されている。デザインの思いをよりストレートに世の中ヘ伝える動きの一つとして、デザインの現場が登場するCMも放送されている。

中牟田氏は繰り返し「マツダのようなスモールプレイヤーが生き延びていくためには、これしかない」と述べつつ、その実、そのスケール感を生かして明快かつ濃厚なメッセージを継続的に発信していること自体が、独特のデザインの活かしかたを体現しているようにも見られた。

自然、社会、人間を互いにつなぎ、なかだちするデザイン

最後に登場したのはGKデザイングループの山田晃三氏。山田氏はJIDAビジョン委員長として一連の「デザイン思考フォーラム」を主催してきた立場でもあるが、とはいえ「デザイン思考」に対する違和感や疑問もある、と切り出した。そして「デザインの、思考と思想」と題し、「思考」と対になるものとして、デザインそのものを生業とするフリーランス事務所として活動の背骨としてきた「思想」を紹介した。  山田氏はまず、デザインをとらえる全体の構図として、人間・自然・社会の3要素を挙げた。デザインはこの三者を互いにつなぐものとして位置づけられる。

人間は動物の中で初めて自然を客体化し、自己とは別の存在として意識した。そして自然の中で生きていくために、自然と人間をつなぐものとして「道具」を備えた。この「道具的装備」を作り出すのが、広義のプロダクトデザインであり、産業革命以降で言うインダストリアルデザインだ。また人間は集団で生きていくために社会をつくるが、社会を成り立たせる上で不可欠なのがコミュニケーション。「人間」と「社会」をつなぐコミュニケーション、すなわち「情報的装備」をつくるのが、コミュニケーションデザインだ。そして自然の中に社会、つまり人間集団の暮らす場をつくるのが「空間的装備」のためのエンバイロメントデザイン。

道具的装備のプロダクトデザイン、情報的装備のコミュニケーションデザイン、空間的装備のエンバイロメントデザインはそれぞれ、モノ、情報、建築土木のデザインとも言える。山田氏はこの「デザインの3界」を俯瞰してデザインをとらえ、取り組んできた、と語った。

時代の中で解体されてきた「デザインの全体性」

しかしこの3界の関係も、現実には矛盾と軋轢に満ちている。人と自然、社会の間には、格差や環境破壊を筆頭にさまざまな葛藤がある。デザインの仕事は、その矛盾と葛藤のただ中にある。  「個々の場において疎外されたデザインの全体性への回復の努力こそが、(神なき時代の)デザイナーの責務である。我々は3大領域をおおうトータルなデザインの思考を、いま必要としているのである」。GKデザイングループとも浅からぬ縁のあった建築評論家、川添登氏が1961年に記した言葉だ。山田氏が先に出した「デザイン3界」も、その源泉は川添氏の論にある。

この川添氏の言葉の前年には、東京で「世界デザイン会議」が開催されている。デザインの果たすべき役割について、デザイナーが真剣に考えていた時代だ。しかしその後の高度経済成長の中で、この言葉とはうらはらに、デザインはそれぞれの分野に特化して発展していった。

その川添氏は2015年7月に、川添氏の盟友でありGKデザイングループの創始者だった榮久庵憲司氏はその約半年前の2月に他界している。山田氏が語るGKデザイングループの「思想」は、こうした先駆者たちから引き継いだものでもある。

総合デザイン事務所の根底にある「道具の思想」

GKデザイングループはデザインの各分野を横断するフリーランス事務所として、個別の対象物を越えて「デザインする」という活動全体の意味づけ、理念、思想を探り、よりどころとしてきた。業態がバックボーンとなる思想を求めた、とも言える。その思想の中核をなすキーコンセプトが「道具」であり、GKでは「道具」という言葉の復権を訴えてきた、と山田氏は語る。

山田氏は映画「2001年宇宙の旅」冒頭の、骨を手にして道具を得た猿人が人間への第一歩を踏み出すシーンをひいて、道具の誕生はすなわち人類の誕生であり、人間は道具によって人間となり、環境に適応してきた、と述べた。  全ての人工物、全てのデザイン対象物は道具である。「道具」の語には他の言葉では表せない幅広さと、物理的機能にとどまらない精神的な意味が含まれている。

人は思いを託して道具を生み出し、道具は人の思いを成就させ、体現してきた。道具を深く考えることはすなわち人間を深く考えることであるとして、GKでは「道具」の探究に思いをいたしてきた、と山田氏。

人は道具を使って、環境に適応してきた。手の機能を拡張したハンマー、スプーン。足の移動機能を延長して生まれた車輪、乗り物。皮膚を延長した衣服、眼を拡張した眼鏡、望遠鏡、カメラ、頭脳を拡張したコンピュータ。人の心身の機能を拡張し、欲望を実現するのが道具なら、道具は人の欲望を映し出す鏡、道具の世界は人間世界を映す鏡でもある。それは「ものには心が宿る」という日本人独特の感性にもつながる。この感性の上に、モノの格と人の人格を並べて考え、モノと人にもつきあい方の礼儀作法がある、とする考え方が生まれる。

こうした考えをGKデザイングループでは「道具の思想」と呼び、「道具」という概念を軸として、プロダクトはもちろん衣服、住まいから都市、情報までを読み解いてきた。

道具をデザインする、「道具として」デザインする

モノに心が宿り、道具が人に作法を要求する。この考え方はデザインワークにも反映され、たとえば2013年にGKデザイングループのデザインした新交通システム「ゆりかもめ」の座席は「座りかたの作法を要求する」ようにデザインされている。

GKデザイングループの「道具の思想」が端的に表れた例としては、1960年代につくられた一連の実験的なプロトタイプがある。「コア住宅」では例えば、住宅設備として建築の一部だった台所を、道具的装備の集合体としてとらえなおし、生活に合わせて自由に組み替えられるフレキシビリティのある装備として作り直している。

「道具」の考え方は都市空間にも広がり、赤い屋根の電話ボックスをはじめ、街頭やベンチなどの街中の装備を、GKでは「都市の道具」としてデザインしてきた。それは万博と時を同じくして花開いた建築運動、メタボリズムに対する、インダストリアルデザイナーからの意思表示でもあった。空間の構成要素を分解し、道具的なシステムとして組み上げるという方法は、日本古来の、伊勢神宮の式年遷宮などともつながる。いわば道具をもって空間をつくりあげる考え方だ。

「道具の思想」はコミュニケーションデザインにも広がる。道具はもともと、その発生とともにメッセージ性を内包していた。服の起源も、自分が何者であるかを示すためのボディペインティングや羽飾りが先にあり、寒さや外界から身体を保護することは後からついてきた機能とも言われる。

山田氏はGKのデザイン事例から、キッコーマンの卓上醤油びん(1961年)を挙げた。それまで一升瓶で売られていた醤油を卓上びんに入れることで、醤油びんは流通・保存のための容器から、卓上で使うための道具へと生まれ変わった。道具としての役割を果たすために、液だれのない口元の角度などさまざまな工夫を凝らしてデザインされた。

それは同時にブランドを表す情報の、日常生活の場への登場でもあった。パッケージはそもそも、内にあるものを表にあらわすはたらきを持っている。道具のデザインがまた持ち方を規定し、使い方の作法を伴う。醤油の卓上びんは海外へも輸出されたが、それとともに内容を説明する情報や使い方の作法も輸出された。

外からの「思考」と内からの「思想」

道具の姿はシンボリズムを負うと同時に、内容や機能を表出し、人の使い方やふるまい、作法を誘導する。モノは意図するとしないにかかわらずメッセージを発信するものだと考えれば、何をどのように語るかまで含めてデザインする必要がある。

山田氏はGKデザイングループの幅広いデザイン活動において、内面を支えるひとつの軸として存在してきたこうした「思想」の重要性を説いた。外部を観察し、外部と共創することで発想を導く狭義の「デザイン思考」だけでなく、デザイナーの内なる核を構築する「思想」を見直したい、両面が揃ってこそデザインの力は発揮されるはずだ、と。その「思想」の根本を成すのは結局、人間が時代を超えて大切にしてきた人と人の関係であり、子供も大人も変わらない心であり情動である。

人とモノの長い歴史を通して内なるものを構築し、デザインのいわば基礎となってきた「デザインの思想」と、観察によって外部の手がかりから発想し、異分野のコラボレーションによる共創を志向する「デザイン思考」とが結びつけば、大きな力になるだろう、と山田氏は結んだ。

継続して追求すべき、大事なことは何なのかを考える

それぞれの経験に根ざした三者三様の発表の後、モデレーターの山崎氏と3名のスピーカーがパネルディスカッションの席に並んだ。山崎氏は全体を貫く視点として「それぞれの企業やプロジェクトにふさわしいやり方を考え、編み出していくことがデザイン思考」と述べ、その思考過程はフォーマットを作れるものではなく、そもそもデザイン自体が課題ごとに最もふさわしい方法を考えるもの、と原点に立ち返る視点を提示した。

その上で山崎氏は「それぞれに異なる方向性や課題、問題意識があるとはいえ、他のデザイナーやデザイン思考に取り組む人々への示唆はあるはず。ぜひそれぞれ、他の人に対してヒントを提供してほしい」と投げかけ、3人に一言ずつ求めた。

小島氏はこれに応えて「自分たちは10年かけてここまで来たが、初めから上手くいくわけではない」と述べた。まず仮説を立ててやってみる。うまく行くこと、行かないことはあるが、そのプロセスにおいて自分たちの活動を他の人に見せたり、体験してもらう場を持つこと。そこから理解し共感してくれる人を増やしていく。最初に理想があることが大事。思想なり目標なりがあって、それに向かってできることをやる。その繰り返しで共感者を増やしていくことが力になり、自信になる、と述べた。

これを受けて中牟田氏は「自分たちのしてきたことも似ている」、「自分たちも5年前には、周囲はもちろん自分たちも、どうありたいのかがよく見えていなかった」と懐述した。そこで自分たちで真剣に、自らの強みや「どうあるべきか」を考えた。部門ごと、立場ごとに異なる「ブランド価値」をそれぞれに語り、その中から自分たちは何が強みで、何をめざしているのかを確認し、社内に共有していくインターナルブランディングを大事にした。それを何度も繰り返して、大きな歯車がゆっくり回り始めるようにして全体が動き出した。その延長上に現在がある、と。最初からはうまく行かない。チャレンジと失敗を繰り返して、やっと歯車が回り始めるから、途中でやめてはいけない、と述べた。

山田氏はこれに続けて「自分らしさって何だろう」、自分たちが何者なのかを真剣に考え続けることが必要では、と投げかけた。それは日々のささいいな出会いや、子供の素朴な質問にきちんと向き合うことから始まる。生命の中で失われず引き継がれていくことは、そう多くはない。本当は目の前の仕事よりそっちの方が大事なはずだ。目の前のタスクに埋没することなく人間と向き合うこが、デザイナーには必要なのではないか。大局的な視点と継続性がキー、と述べて締めくった。

 

■執筆者
井原恵子

●日程:2016年2月12日(金)

●会場:東京ミッドタウン・デザインハブ(六本木)

    港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5Fリエゾンセンター

    http://www.designhub.jp/access/

●主催:(公社)日本インダストリアルデザイナー協会 ビジョン委員会

●協力:(公財)日本デザイン振興会/日本デザイン学会プロダクトデザイン研究部会

●プログラム

講演1「イノベーションとデザイン思考」
小島 健嗣(富士フイルム株式会社イノベーション戦略企画部統括マネージャー)

講演2「マツダデザイン、思考の流儀」
中牟田 泰(マツダ株式会社デザイン本部アドバンスデザインスタジオ部長)

講演3「デザインの、思考と思想」
山田 晃三( 株式会社GKデザイン機構代表取締役社長)

モデレータ: 山崎 和彦(千葉工業大学デザイン科学科教授、JIDAビジョン委員会)


■講師プロフィール

●小島 健嗣 (こじま けんじ)     
富士フィルム株式会社イノベーション戦略企画部統括マネージャー。

千葉大学工学部工業意匠学科卒。 1983年 カシオ計算機入社。1986年富士フイルム(当時富士写真フイルム)入社。 デザインセンターにて情報システム、印刷シス テム、理化学機器等のプロダクトデザインを担当、その後インターフェースデザイ ン、デジタルコンテンツデザイン、ユーザビリティデザイン、ソリューションデザイン各グループを立ち上げる。2011年よりR&D統括本部 技術戦略部で技術広報 およびオープンイノベーションを担当。 2011年に共創による新規事業創出を加速 する場を提案、2014年 Open Innovation Hub 開設。 2015年3月より現職。

 

 

●中牟田 泰(なかむた やすし)     
マツダデザイン本部 アドバンスデザインスタジオ部長。

1987年マツダ株式会社入社。カリフォルニアデザインスタジオ駐在後、コンセプ トカーやロードスターのチーフデザイナーを経験。 2010年からアドバンスデザインスタジオでブランド構築の為のデザイン戦略及び 先行デザイン開発のリードを行う。 現在は、マツダデザインテーマ「魂動」をはじ め、マツダブランドのビジュアルタッチポイントであるコーポレートアイデンティティ、ビジュアルアイデンティティ、店舗、広告、ショーブース等の多岐にわたる ブランドデザインを統括する。

 

●山田 晃三(やまだ こうぞう)     
株式会社GKデザイン機構(GK Design Group Inc.)代表取締役社長。

愛知県立芸術大学卒、1979年GKインダストリアルデザイン研究所(現GKデザイ ングループ)入所。 05年、株式会社GKデザイン総研広島代表取締役社長。 12年よ り現職。GKデザイングループは、1952年創立の総合デザイン事務所。国内外10 社の事業会社からなる。 「道具dougu」をキーワードにプロダクト領域、コミュニ ケーション領域、建築環境領域、および調査研究・企画開発など一貫したデザイン サービスを柱として活動している。 日本インダストリアルデザイナー協会理事、日 本グッドデザイン賞審査委員、日本デザイン機構理事。九州大学等非常勤講師。

 

更新日:2016.05.31 (火)