第四回JIDAフォーラム「デザイン思考」のシクミ
デザイン思考の、そしてデザインの意義を考える
レポート:井原恵子

デザイン思考をテーマにした連続フォーラムも4回目を迎え、JIDAで探る「デザイン思考」の輪郭が徐々に見えてきた。2015年2月20日の第4回は一歩引いて、デザイン思考の意義とその意味をさぐる会となった。
デザイナーにとっての「デザイン思考」を探る
4回目になる連続フォーラムの出発点のひとつには、近年にわかに脚光を浴びている「デザイン思考」に対し、長年職能として「デザイン」を営んできた工業デザイナーの抱くとまどい、疑問、そして純粋な興味があった。このテーマが今までの「デザイナーとそれ以外の人々の関係」を変える可能性を含んでいることも、ひとつの大きな要因だろう。「毎回デザイナー以外の参加者も多く、その意味でもJIDAとして貴重な会」というビジョン委員会・山田氏の挨拶の言葉もそれを示していた。
昨年春のフォーラム第1回では、学術畑の第一人者を交えて「デザイン思考とはそもそも何なのか」を紹介した。第2回では実際の取り組みの現場に目を向けた。第3回ではより深く、デザイン思考の現場で浮上している思いや疑問、悩みや考えにフォーカスした。
そして第4回は、もうひとつ視野を広げ、何のためのデザイン思考なのか、デザイン思考はなぜ求められているのか、その意味や意義を考える会となった。
スピーカーもいわゆるデザインやデザイン思考の枠組みにおさまらない顔ぶれとなった。既存の枠組みを超えて地域や社会に働きかける活動を展開する若杉浩一氏、デザイナーでもあり、かつ市長職の経験を持つアウグスト・グリッロ氏、そして一連のフォーラムの仕掛け人でもある山崎和彦氏。モデレーターはJIDA理事の御園秀一氏がつとめた。
「売るためのデザイン」を超えて

若杉浩一氏はパワープレイス株式会社・リレーションデザインセンターでインタラクションデザイン部長をつとめるが、それよりも「日本中に杉のプロダクトを増やす」コンセプトを掲げて地域や社会に働きかける「日本全国スギダラケ倶楽部」の設立者と言った方が通りがよいだろう。
もともと九州芸術工科大学で工業デザインを学び、オフィス家具メーカーの内田洋行でインハウスデザイナーの仕事に就いた。現在所属するパワープレイスも内田洋行のグループ会社だ。本業は今も内田洋行のデザインだが、若杉氏のユニークな活動は本業の外にある。
若杉氏が就職した30年前、クルマや家電など工業製品の魅力はまだ衰えを知らず、デザインの仕事は輝いて見えた。ところがしばらくすると若杉氏は「売れることが正義」の仕事にフラストレーションを感じはじめた。社内でもデザインの現場をはずれてさまざまな立場を経験したが、デザイン以外の仕事には熱が入らず、かといって既存のプロダクトデザインに自分の思い描いてきた世界があると思えなくなっていた。
その中で、「未来に残せるデザイン」を求めて問題意識を共有するデザイナー仲間と集まって始めたのが「日本全国スギダラケ倶楽部」だった。
現在やっかいものにされている国産材を使って、何かできないだろうか。昔はどの町にも木造の校舎があり、どの家にも木の机と椅子があった。わずか数十年の間に消えてしまった木の家具だが、一家に一台くらいあってもいいのではないか、それが出発点だった。
現在ではスギダラケ倶楽部の会員は全国で1800名、16の支部がある。本部は内田洋行にあるが、まったく自主的な非営利活動だ。
しかし若杉氏は、実は自分たちは杉そのものを愛して杉のために活動しているわけではなく、杉を題材にデザインを考えているのだ、と言う。
そのひとつの形が「地域と企業をつなぐ家具」のデザインだ。地元の材を使ったインテリアやプロダクトをデザインしながら、週末を利用して地元に入り込み、地域の人たちと仲よくなり、山の手入れを手伝い、限界集落の活性化を支援する会で語ったり、何より時間を共にして飲み、食い、踊り、共に楽しむ活動をしている。
デザインやまちづくりと接点のなかった人たちが、活動の中心に
最初に国産の杉を使った家具の話をしたところ、内田洋行の社内ではまったく相手にされなかったという。スチールとメラミン化粧板でなくては品質管理ができない。ツキ板は色が一貫しない、ロット管理ができない、傷がつく、節や木目や割れはクレームになると言われた。
ところが現在、スギダラケ倶楽部のつくった家具は売れ、買った人も作った地域も喜んでいる。なのに企業はダメだと言う。このギャップは何なのか。この疑問が活動の大きな原動力になっている、と若杉氏は言う。
素材や作り方だけでなく、売り方も従来のデザイン家具とはがらりと変えた。東京での展示会などせずに、地元で、自分たちで売るところから始める。「露天の家具ショップ」を作り、杉でできた屋台で木製の小物を売ったりもした。
宮崎県日向市では、やはりスギダラケ倶楽部会員の建築家、内藤廣氏が杉の駅舎を設計し、市民や子供たちとまちづくりのワークショップを開いた。子供たちが企画をプレゼンテーションし、市民が杉の屋台を組み立て、駅前でイベントを開催し、屋台は町に寄付した。市民の集まる場をつくり、そのメンテナンスに市民も参加するしくみの種をまいたのだ。
今では「駅前広場に集まって何かしらやる」活動が地元にすっかり定着した。駅のオーナーであるJR九州からは当初反発が強かったが、現在では強力な味方となり、「地域を元気にする企業」「地域とともに成長する企業」を自認するまでになった。
ここに生まれたのは、それまでまちづくりと全く縁のなかった企業が、新しいものづくりの枠組みによって地域に参画していくプロセスだ。これができてみて、若杉氏は「自分の感じていた憤りの行き先はこれか」と気づいたと言う。
「ほおずりしたくなる家具」をデザインする方法
宮崎県日南市役所には現在「飫肥杉(おびすぎ)課」がある。彼らの後押しもあって実現したのが、スギダラケ倶楽部8年目にして実現した企業と地域のコラボレーションによるobisugi designの「アシカラ」シリーズだ。
内田洋行がスチール脚を作り、上部は地元の素材を使って地元で作る家具。決して安いものではないが人気があり、Gマークその他の賞も受賞した。
昨年は同様の方式で、学童デスクが作られた。脚はスチールで、上部は地元の材を使って、しかも中学生が自分たちで仕上げる。自分で磨くことで、本当に自分のものになり、生活の中に入っていく。従来の机に比べると値段は倍するが、上部は地元で作るから、実は価格の半分は地元に戻ってくる。そして卒業のときには、中学生たちが自分の仕上げた部分をもらっていく。
単にきれいなものをつくるのではなく、地域の産業につながり、使い手とつながり、生活にとけこんでいく。机にほおずりする子供の写真を見ると、これまでこんな関係を持つことのできる家具があっただろうか、と思う。
メーカーが作ってきたものづくりの枠組みを問い直す
中学生の仕上げた家具は、もちろん仕上がりにばらつきがあるし、メーカーで作るものとは違う。しかしこれを見て若杉氏は「我々がクレームと呼んできたものは何だったのだろう」と考えた。
メーカーがものづくりをあまりに単純化してきたのではないか。ものづくりはもっと尊いものではなかったか。マスプロダクトの背後にあった問題が見えてきた。自分の感じていた疑問、いらだちに答えてくれるものがあった。
若杉氏の従来の「決まりごと」を問い直す姿勢は一貫している。たとえば子供のものは、子供っぽくある必要はないのではないか。「子供らしさ」を言い訳にして、考える作業を省いていないか。そうではなく、子供の生きる力を引き出すためにはどうすればよいのか。こうした考えから「おもちゃ博物館」の杉の枯山水や、MUJIの「杉のスペース」が作られた。
企業の価値観やヒエラルキーも、必ずしも絶対不変ではない。内田洋行の社内で杉の屋台を使い、米スチールケース社の役員を招いてもてなしたら、コンビニのおでんでも喜んでもらえた。昔なら、デザイン部門の「おもてなし」は青山や六本木へ連れていくことだった。地域での活動が、もてなしとは何かを再考することにもつながっている。その先には、デザインって何だったのか?の再考がある。
未来のためのデザインは「関係性のデザイン」
企業によるマスプロダクトがものづくりの主流となったのは、ここ数十年のことだ。その中でプロダクトデザイナーとして、企業のため、金のためのデザインだけでいいのか、という憤りを抱いた若杉氏は、外の活動へ飛び出した。その先には、不揃いでもクレームにならず、高くても喜んで買う、新しい価値を作り出す「関係性のデザイン」があった。「あなたが好きだから買う、共感するから買う」、いわば共感資源のデザインだ。
それは社会全体に言えることでもあり、実は企業もその社会の中にある。本当は、社会と個人と企業はバラバラではなく、つながっている。
新しい関係性やものづくりの最初にあるのは、ひとりの「変人」の動きだと若杉氏は言う。「面白いことがあり、変な人がいるところから始まる」。そこからクリエイションが生まれ、デザインがあり、イベントがあり、その中からやっと経済が生まれてくる。最初に経済ありきでは、ない。
ひとりの「変人」としての自分の活動の根底に流れているのは、未来のために何かをしなければ、という思いだと若木氏は言う。そうしてがむしゃらに活動していく中で、自分たちの役割──「関係性のデザイン」ということが見えてきた、と。
学生のときには見えていたつもりのデザインの姿が、企業の中にいると見えなくなり、だんだんと組織の中で暮らすことが心地よくなっていく。それが外へ出て活動しだすと、中とのギャップがわかる。企業の持つ資産である人材、デザインが世の中に伝わっていないこと、自分たちの知らないところにデザインの必要性があるということ。それを企業とつなげたいという思いが、今の活動の根底にある、と若杉氏は語って結んだ。
市長もデザイナーも「届ける側」にいる

アウグスト・グリッロ氏は、自身を「厳密にはデザイナーではなく、デザイン哲学の専門家」と言う。デザインの背後にある価値観、思考をテーマに、社会学、心理学、美学を研究してきた。
氏はイタリアの老舗照明器具メーカーのオーナーでありデザイナーでもあるが、2004年から2014年までの10年間、自分の住むミラノ県のサント・ステファノ・ティチーノの市長をつとめた。10年間の経験からグリッロ氏は、自治体の長の役割とデザイナーとの共通点を指摘した。
選挙で選ばれた市長の責任は重い。市長は住人のひとりでありながら、全市民と向き合う立場にあり、向いている方向が市民とは違う。その点で非常に孤独でもある。その中で市長の役割は道を示すこと、方向性を示すこと、それによって幸せを届けることだとグリッロ氏は言う。
この視点はデザイナーとよく似ている。ものをつくるとき、デザイナーはデザインする側の視点に埋没してしまうことがあるが、デザイナーの役割もまた、対峙している多くの人々を喜ばせ、満足させることにある。
現在・過去・未来の「時間をマネジメントする仕事」
グリッロ氏が市長になって最初にしたことは、市の墓地にある納骨堂の修復だった。父祖の骨が入っている納骨堂が汚れて荒れ果て、物置に使われているのを見て、市長としてこれは許せないと思い、2週間できれいに修復したと言う。
これに象徴されるように、市長の仕事は「時の流れのマネジメント」だとグリッロ氏は言う。現在の時代に合わせること、過去に自分たちがどこから来たのかを見ること、どんな未来へ向かうのかを考えること。その中で納骨堂の修復は、過去と向き合うための仕事であり、メッセージだった。
また、反対に遭いながらも遂行し、結果的に喜んで受け入れられたのが、市の給水所づくりだった。無料で誰でもミネラルウォーターをもらえ、スパークリングウォーターも作れる、市民のための泉だ。
もちろん家々の上水道はこれとは別に完備されているが、それでもペットボトルのミネラルウォーターは人気がある。それが結果的にゴミ問題を引き起こし、市の負担となっていた。この「市民の泉」は、水は商品ではなく公共のものだという意思表示であるとともに、市民の水資源への意識を高め、かつゴミ問題を改善する意味を持っていた。はじめ1ヶ所だった「泉」は人気が出て、もう1ヶ所整備したと言う。
他にも10年の間には、学校の修復、墓地の修復、図書館や高齢者福祉施設の整備も行った。自分たちの現在を支えている過去を知る意味で、憲法についての記念プレートを設置した。
アーバンプラニングの面では、見えづらかった市境に、市の入口のサインをもうけたり、軽犯罪抑止のために監視カメラを設置した。また自転道を整備し、一部に自動車を排した自転車と歩行者専用の道をつくって、きれいな道を市民が楽しめるようにした。
グリッロ氏はアーバンプラニングも、市長の仕事である「時の流れをコントロールし、未来をつくる」ことの一つとして考える。町全体が将来どのように発展していきたいのか。緑に囲まれた街か、歴史に誇りを持つ街か、安全でみんなが助け合う街か、穏やかな環境か。自分たちが、自分たちの町をよりよくすることができたと、誇りを持って考えられるようにするための活動だ。
街にもハードウェアとソフトウェアがある。ソフトウェアの方ではコミュニティの心を支える事業として文化活動にも注目し、若者文化にスポットを当てた。夜中の0時から朝4時までのイベント "Notte Bianca" は大成功をおさめ、小さな街に多くの来場者を集め、他の自治体でもまねる例が出ている。
高齢者の活動支援では、リタイア後の元気な人にボランティアをお願いし、子供たちの通学支援などを行った。また市が4台の車を用意し資金を援助して、車のない外出が困難な高齢者を病院へ送迎したり、日常の買い物を助けたり、食事を届けたり、各種の「お手伝い」をする、ボランティアによる互助システムをつくった。
デザインが考えることは、受け手に美を届け幸せにすること
Design thinkingとは何か? グリッロ氏にとって「デザインの思考」とは、美を考えること、だと言う。美を探し、美を提案することがデザイナーの、そして市長の役割だと。
直接的には、たとえば市長として行った、You Need Flowersと題して家々に花を育てることを奨励し、バルコニーや庭の花を表彰する活動といった形もある。
一方、氏は本業では老舗照明メーカー「ルーメン・センター・イタリア」のオーナー社長でもある。こちらの仕事でも、ここ20年で大きな変化が起きていると言う。
1980年代はマーケティングやアナログ中心のブランド、テクノロジーを軸にものづくりができていたが、デジタル化、中国の自由貿易参画、LEDによる照明技術革命を経て業界全体が激変し、メーカーに求められるものが大きく変化した。
今日、ランプをデザインするという一見昔ながらの仕事の中でも、問題はプロダクト(モノ)のデザインではなく、プロセスのデザインへと移っている。単品をデザインするのではなく、カスタマーの心をデザインする視点が必要だ。それは市長としてコミュニティをデザインすること、すなわちコミュニティの心をデザインすることと同じだ、とグリッロ氏は言う。
デザイナーのためだけでない「デザイン」活用

最後のスピーカー山崎和彦氏は、この一連のフォーラムの仕掛け人でもある。自身が何を考えてデザインに取り組んできたか、その思考の源泉を子供時代にさかのぼり、企業デザイナーの時代から現在まで、身をもって体験してきた問題意識の流れを駆け足で紹介した。
山崎氏の実家は質屋で、蔵の中には膨大な「モノ」があった。山崎少年はさまざまなモノに囲まれて「なぜこれはこんな形をしているんだろう?」「これはどうやって使うんだろう?」と好奇心をふくらませた。そこにある家電やラジカセの使い方を解きあかしては大人に伝える中で、機能と形の関係や、使いやすさへの視点が生まれていった。
大学を出た山崎氏は、住宅設備メーカーのクリナップに就職した。はじめステンレス浴槽の模様を描いていたが、どんな模様を描いても同じことで、それをやっていても仕方ないと考え、システム型浴槽なども提案した。
その後山崎氏は転職したIBMで、アメリカ向けのラップトップPCが日本で売れないというので、日本向けラップトップのデザイン開発をはじめた。そこから生まれたのが名品Think Padだ。さらにプロダクトのデザインだけでは不十分だと気付き、開発と販促という領域の役割分担を越えて、カタログや販促ツールまでを含めて一貫したプランを提案した。
IBMはその後、プロダクトを売る会社からサービスに本業をシフトしていった。その中で「デザインって、デザイナーにとってだけでなく、もっといろいろに役立つものなんだ」と意識するようになった。
そこでデザインのノウハウを本にしてみんなに読んでもらおう、そうすればデザインを活用してもらえるし、自分たちデザイナーのこともわかってもらえる、と考えた。しかしそれをやるには教科書がない。そこで教科書を作ったりもした。
イノベーションを実現する手段としてのデザイン思考
その先にあったのが、現在の大学の仕事だ。入ってみると大学というのは自由なところで、企業内ではできなかったさまざまな組み合わせでのコラボレーションが可能になったと言う。
その環境を活かして山崎氏は、素材リサイクル会社やさまざまなメーカーとの共同プロジェクトを立ち上げ、工場の面白さを前面に出したブランドづくりや、素材カフェといった活動を展開してきた。いずれもデザインを活用する方法を模索するプロトタイピングだ。
またここ数年間、山崎氏は経済産業省で「デザイン思考を企業で活用するにはどうしたらよいか」を考える委員会に参画してきた。かつて「デザインって、デザイナー以外にも役立つのでは?」と考えたその先に見えてきたのは、イノベーションだった。
イノベーションの定義がいろいろある中で、山崎氏はラリー・キーリー氏の「イノベーションとは持続可能な新しいオファリングを生み出すこと」という考え方を引いた。ここに大事なキーワードが2つある。「持続可能であること」、つまり単発で終わるのはイノベーションではない。また「オファリング」とは、相手に届いて初めてオファリングとなる。つまり新しい技術や製品をつくり出したことだけではイノベーションにならないということだ。
これらをふまえて、経産省の委員会では事例研究を重ね、日本の企業やものづくりの中でデザイン思考を活かす方法を考えてきた。その結果、日本の課題は個人の創造性ではなく、組織の創造性である、と気付いた。
製品システムのデザイン、経験のデザイン、組織のデザイン、の3つを実行しなくては、イノベーションはうまくいかない。
山崎氏は委員会の中でイノベーションのステップを整理し、魅力的なスタイリングの提供を目的とする「スタイリングのイノベーション」、新しい製品やサービスの提案を目的とする「製品やサービス全体のイノベーション」、そして真のイノベーションと言える、持続可能な新しいオファリングを生みだすことを目的とした「組織のイノベーション」の3段階を提示した。最後のイノベーションでは、社員全員がデザイナーとなり、エコシステムまで含めたデザインにとりくむ。デザイン思考をフルに活用した先にある姿だ。
異なる立場をつなぐ「共感の形成」へ向けて
3人のプレゼンテーションはいずれも、従来のデザイン(およびいわゆる「デザイン思考」)の枠組みを超えて、デザイン(の思考)を活用するアプローチを示している。会場からの質問を受けたやりとりも、連続フォーラムの最後を飾るにふさわしい大きな話題となった。
千葉大学の植田氏からは、地域のプロジェクトに取り組む視点から、グリッロ氏への質問があった。日本では地域と何かをしようとすると、行政の縦割り体質がハードルとなる点をあげ、実際のとりくみ現場について尋ねた。
これにグリッロ氏は「その点、イタリアと日本は似ている」と回答。その上で、官僚や市の職員と市長とでは、役割も目的意識もまったく異なることを指摘。自分たちは政治家として、指示を出し、道を示す。役人はそれを実現する。しかし指示を出す側も、勝手なファンタジーを求めてもだめで、実現性のある指示を出す必要がある。かつ権力にものを言わせて命令するのではなく、説得し、納得してもらわなければならない。
これはものづくりでも同じで、決定し指示を出すのはデザイナーだが、その指示の現実性を吟味し、意味をきちんと説明して納得してもらう必要がある。今はデザインのプロセスが複雑になってしまい、それが難しくなっている面はある。それは市長の仕事とも共通することだ、と述べた。
次ぐ質問ではJIDA理事長の田中氏から、デザイン思考においていちばん大事なのは「共感の形成」ではないかとし、異なる立場や分野の人が共感を持つ、そのためのポイントはどこにあるか、スピーカーの考えを尋ねた。
これに山崎氏はひとこと、想像力だと回答。たとえば市民とのコラボレーションなら、市民がどう考えるかを想像する力だ。
それにはデザイナーが想像力を鍛える必要があるし、またお互いが相手のことを想像しやすいように、ツールを用意したり、絵を描いたり、話をする必要がある。すぐれたデザイナーの力とは、想像する力──すなわち相手の視点に切り替えられることだ、と山崎氏は答えた。
これに対しグリッロ氏は、違った角度からの答を出した。
グリッロ氏いわく、デザイナーは個人の視点を押し出すのではなく、人の心を考えて、美の世界を届ける義務がある。自分のビジョンを発信し、人を感動させるのはアーティストの仕事であり、デザイナーの仕事ではない、と言う。
かつてルネサンスの時代に、普遍的な美の世界を生み出したレオナルドやミケランジェロの姿勢は、今で言えばデザイナーのそれだ、とグリッロ氏。これに対し現代のアーティストはメッセージや感情を表現し伝えるが、それは美とは別の話だと言う。デザイナーの仕事で一番大事なのは、美しい世界を通して、人々に幸せを送り届けることだ、とグリッロ氏は結んだ。
最後にモデレーターの御園氏が、今回のトークから記憶に残った3つのキーフレーズを提示した。「未来のビジョンを示すこと」、「全員参加」、そして「人を説得し、巻き込むこと」だ。
その全体に共通する「共感の形成」──考えたものをいかにみんなで作り上げていくか、そこが最大のチャレンジだとして、大きく拡がった話題に通底する理念をあぶり出した。
また御園氏は、グリロ氏が繰り返し述べた “beauty” という言葉が、デザイン思考を取り上げる中でずっと気になっていたことを言ってくれた、と指摘。その「美」はもちろん表層的なスタイリングではなく、より普遍的な価値としての「美」、それを求め続けることもデザイナーとして忘れたくない、と述べてしめくくった。
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■執筆者
井原恵子
●日程:2014年2月20日(金)
●会場:東京ミッドタウン・デザインハブ(六本木)
港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5Fリエゾンセンター
http://www.designhub.jp/access/
●主催:(公社)日本インダストリアルデザイナー協会 ビジョン委員会
●協力:(公財)日本デザイン振興会/日本デザイン学会プロダクトデザイン研究部会
●プログラム
講演1「新たな顧客価値創出の提案~リレーション・デザイン」
若杉浩一(パワープレイス株式会社デザインシニアディレクター)
講演2「街づくり、モノづくり」
アウグスト・グリッロ(ビラトスカ・デザインマネジメントセンター代表)
講演3「イノベーションのためのデザイン思考としくみ」
山崎和彦( 千葉工業大学教授、JIDA理事)
モデレータ: 御園秀一(千葉大学客員教授、JIDA理事)
■講師プロフィール
●若杉 浩一 (わかすぎ こういち) パワープレイス株式会社 リレーションデザインセンター
インタラクションデザイン部部長。
熊本県天草生まれ。九州芸術工科大学工業設計学科卒業、1984年株式会社内田洋行入社、デザイン課、企画課、知的生産性開発課を経て、T.D.C(テクニカルデザ インセンター)部長。企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。杉の魅力をアピールし、日本中に杉のプロダクツを増やしていこうという運動を展開している。日本全国スギダラケ倶楽部設立。
●Augusto Grillo(アウグスト・グリッロ)/イタリア 多摩美術大学デザイン学部生産デザイン学科客員教授
ヴィッラ・トスカ・デザインマネジメントセンター・グループ CEO
イタリア・パルマ大学卒業後、名古屋大学にて研究員とて日本に滞在。欧州や米国 さらに日本を主とするアジア諸国のクライアントに対し、デザイン関連サービスの 提供を行っている。各国での講演、美学やデザイン、デザインマネジメントに関す る論文著作多数。日本では、京都精華大学PD学科客員教授も努めた。さらに、ミ ラノ県サント・ステファノ・ティチーノ市長も務め、住民のための街づくりにもデ ザイン思考を展開し活動中である。
●山崎和彦(やまざき かずひこ) takram design engineering
千葉工業大学デザイン科学科教授。
Smile Experience Design Studio代表。
京都工芸繊維大学卒業、2002年博士(芸術工学)号授与,2003年日本IBM(株) ユーザーエクスペリエンスデザインセンター・マネージャー(技術理事),2007年 より現職。JIDA理事、人間中心設計機構副理事長。教育とデザインに関わるコンサ ルティングに従事。おもな著書は「エクスペリエンス・ビジョン」。iF賞、IDEA賞 など国際的なデザイン受賞多数。