第六回JIDAフォーラム「デザイン思考のミライ」 | Industrial Design

第六回JIDAフォーラム「デザイン思考のミライ」

デザイン思考シリーズ最終回として、このデザイン思考を総括し、その未来について考えてみたいと思います。

レポート:井原恵子

タグ:JIDAフォーラム,デザイン思考    カテゴリー:EVENT

 

2016年10月6日、「デザイン思考」をテーマとした連続フォーラムの第6回が開かれた。2014年の第1回に始まり、これまで重ねたセッションから見えてきた「デザイナーにとってのデザイン思考」はどんな姿だったのか。

最終回となる今回は、外部スピーカー1名を迎え、パネルディスカッションを中心に開催された。フォーラムを運営してきた委員会の面々がそれぞれの思いを語り、またJIDA内外のオーディエンスを巻き込んでの議論に熱が入った。

JIDAでは設立60周年を機に「デザインの基層と先端」というテーマを掲げてきた。来し方を振り返って基層を見返すとともに、一方で先端に未来へのビジョンを求めたのが、2014年に始まるこのフォーラムの出発点。最終回となる今回の冒頭挨拶でビジョン委員会の山田委員長は、基層を土、先端を時代ごとの花にたとえて「デザイン思考」をとりあげた思いに触れ、また連続フォーラムの終わりを惜しみつつ、ディスカッションへの参加を呼びかけた。

 

第1部・基調講演

世界の経営者がいま、デザインを求め始めているのはなぜか

今回の外部スピーカー、工藤晶氏は、日本IBMでインタラクティブエクスペリエンスを担当する。2016年からデザイナーの大量採用が話題になり、新たな「デザイン」の活用が注目されるIBMの取り組みを紹介した『IBMのデザイン思考と未来』の著者でもある。
工藤氏はノン・デザイナーの視点から、IBMに限らず進んでいる世界の企業によるデザイン活用の話題から切り出した。2015年に行われた世界70ヶ国・5千名の経営者へのインタビュー調査結果を引き、経営がデザインを求めるようになった3つの要因をひもといた。

ひとつ大きな要因としては、テクノロジーを咀嚼する上でのデザインの役割がある。この調査では67%のCEOが「破壊的テクノロジーによって世の中が大きく変わっていく」にイエスと答えた。たとえばuber、alibaba、airbnbなどは、テクノロジーとデザインを用いて新しいカスタマーエクスペリエンスを提供し、大きく飛躍したビジネスだ。
2つ目の要因は個別のエクスペリエンスの重要性。CEOの71%が、お客様をセグメントではなく個人として考え、一人一人にフォーカスするべきと答えた。その背景には、製品の個別カスタマイズや個人のためのサービス提供を可能にした技術の発展がある。エクスペリエンスの重視から、将来はCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)ではなくCEO(チーフ・エクスペリエンス・オフィサー)が生まれる、とのコメントもあった。
そして3つ目が、イノベーションのためのアジャイル化だ。すばやい試行錯誤が大事、との回答は62%を占めた。「新サービスの開発サイクルをもっと短くしたい」。そういう方向に会社全体を変えていきたい、というコメントが目立った。
これら3つの要因はいずれも、企業がデザインに求める新しい役割につながっている。デザインの先端を見つめてきたデザイナー、ジョン前田氏の「デザインテックレポート」によれば、ユニコーンスタートアップの21%、フォーチュン100社の14社に「デザインエクゼクティブ」がいるという。

 

 

IBMとデザインの深い関わり──good design is good business

世間一般のイメージとしてIBMは決してデザインに積極的な企業とは見られていない、と工藤氏。しかし実はIBMのデザインには長い歴史がある。
IBMの二代目社長、トーマス・J・ワトソン・ジュニアがコンサルタントとしてデザイナーを招聘したのは1956年。彼は「ビジネスにおいて、デザインは実用的であり、美的でなければならない。しかし何より重要なことは、デザインは人の役に立たねばならない」と述べた。
1956年からIBM全体に導入されたデザインプログラムの象徴が、ポール・ランドーの有名な「IBM」のイラストロゴだ。これを見たスティーブ・ジョブスがのちに、自身の設立したNextコンピュータのロゴをポール・ランドーに依頼したという逸話もある。トーマス・ワトソンJrは1960年の書簡で「good design is good business」と述べている。

現CEOのジニー・ロメッティは、就任時に「Be essential to the client and to the world」と言っている。「お客様にとって、最も必要とされる存在になりたい」。
この言葉の重要な点は「エッセンシャル」であるかどうかが、提供者自身の評価ではないという点にある。エッセンシャルであることを企業側が自分で宣言することはできない。それはお客様側、経験をしている本人にしか言えないことだ。ここから、受け手にとっての経験を考えるデザインの役割にスポットが当たる。

 

新しい役割を担ってもらうために、社内デザイナーを再編・大幅増強

新方針が出た時点でIBM社内には500名ほどのデザイナーがいたが、所属はバラバラで横のつながりはなかった。そこでまずオースティンに「IBMデザイン」を作って100名近くのデザイナーを集め、新しいデザインプログラムが作られた。
彼らのミッションは「共感するデザイン文化」を、デザイナー以外を含めてIBM全体に浸透させることだ。そのために、people、place、practice──人材・場所・実践手法を整える動きが始まった。その中のpractice、実践を支える手法としてのデザイン思考が、IBMのデザイン思考である。

新しいデザインの役割を担うには従来のデザイナーだけではなく、デザインストラテジスト、エンジニア、データサイエンティストなど多様な人材が必要だが、その中でもデザイナーは圧倒的に不足していた。ここから1000人のデザイナー採用計画が始まり、これまで500名以上のデザイナーが採用された。
peopleの軸となるデザイナーを集めるために、優れたデザイナーのキャリアパスも用意された。IBMには営業系とエンジニア系と、大きく2つのキャリアパスがある。エンジニアはdistinguished engineerからfellowになれる。それと同様のパスをデザイナーにも用意し、新たにIBM distinguished designersという肩書が作られた。
place、場所については、世界34ヶ所にストラテジスト、エンジニア、サイエンティスト、デザイナーがいっしょに仕事をする「IBMスタジオ」を作った。働く人が自分で空間を改造できるようにし、各国で趣向をこらしてそれぞれに場をしつらえている。

 

IBMならではのデザイン思考──「共感のデザイン文化」「あらゆるものはプロトタイプ」

そしてpractice、実践手法の主役であるデザイン思考だが、そもそも「共感する」というデザイン文化をIBM内のノンデザイナーに伝えることが大きなミッションなので、ノンデザイナーにとっても使いやすくする必要がある。これがIBMのデザイン思考「IBM design thinking」の特徴である。

その骨格は、観察し、洞察し、作る(プロトタイピング)という流れから成り、多くの場で活用されているデザイン思考の基本形と同じだ。最初に「デザイン思考」を言い出したIDEOは、デザイナーの思考形態をメソドロジー化して、ある程度誰でも使えるようにした。そこにIBMの管理手法を加え、またIBMにいる世界40万人がデザイン・シンカーになるためのプログラムを織り込んでいる。さらにIBMでは「everything is prototype(あらゆるものがプロトタイプである)と言っている」と工藤氏。世に出た製品を含めて、すべてはプロトタイプで、改善の対象だと言う。
デザイン思考は世界共通ではなく、それぞれの組織と目的に合ったデザイン思考が必要だ。これはIBMのために作られた、IBMのデザイン思考である、と工藤氏。

 

製品でなく総合的価値をオファーするために──40万人のデザイン・シンカー

現在、IBM全体でこの「デザイン思考」を使っているプロジェクトは100件ほど。デザイン思考をやりたいチームはウェブサイト上で申請し、そこへデザイナーが派遣されるという方式を取っている。
また並行して、社長以下のトップエクゼクティブを対象に、デザイン思考の社内教育が行われている。これまで約1万5千人がデザイン思考のトレーニングを受けた。
practiceは「実践」でもあり「練習」でもある。全てのメソドロジーは、実際に使って体験し、練習して初めて自分の血となり肉となる。そのために現場をサポートできるよう、エクゼクティブのデザイン思考に対する理解が進められているということだ。

さらに、ここまでの取り組みはプロジェクト単位だったが、今後はIBMの提供するオファリングとして企画段階から顧客視点を入れたいと考えている、と工藤氏。それには製品単体ではなく、サービスや営業のしかたまで含めて考える必要がある。そのための体制づくりを進めている。
IBMとして最終的には、40万人がデザイン・シンカーになることをめざし、営業向けトレーニングプログラムなども作っている。営業から製品開発まで、顧客視点から考える会社に変わっていこうとする動きの中で、デザイナーにはデザイン思考のファシリテーターとしての役割が求められている。
それが実現できれば、IBMがお客様にとってのessential、必要不可欠な存在になることができる、と工藤氏は締めくくった。

 

第2部・トークセッション

 

デザイン思考の前に、思想としてのデザインを

後半のディスカッションでは、2013年から6回にわたりフォーラムを運営してきたビジョン委員会の山田晃三氏、御園秀一氏、田中一雄氏が登壇し、山崎和彦氏をモデレーターに、これまで蓄積してきた思いと共に、「デザイン思考の未来」への議論を交わした。
冒頭5分ずつのプレゼンテーションで、最初に思いを開陳したのはビジョン委員長の山田氏。はじめ狭い専門領域だったデザインが、時代の流れとともに拡大・分化し、その結果あらためて総合性の重要性がクローズアップされている。その総合性を持つためには、より深い思想が重要、と提言した。
さまざまな知の集合によって多様な問題を解決するプロセスそのものにデザインの価値が認められている現実を受け入れつつ、そもそも解決すべき問題そのものがどこにあるか、その問題意識が問われるのではないか。「与えられた問題の解決」を越えた、より大きな思考が必要なのではないか、と投げかけた。
山田氏はデザインを「人類の歴史とともに歩んできた、生の基盤の充実のための連続」と定義。人類が若かったときはシンプルな問題に対する明快な解決が可能だったが、今では先進国を中心に問題もその解決も複雑になった。だからこそ今あらためて、命の根源につながる問題は何なのかを見据えるべきではないか、と。
手法の中にも思想はある。その一端を示す言葉として山田氏は、将棋で言う「きれいな指し手」という言葉をあげた。負けるときも盤面を整える。がむしゃらに勝っても、盤面が見苦しくては負けに等しい。そこに単なる勝敗、あるいは手法の機能を超えた、姿勢、思想があるという考えだ。

 

デザイナーは「デザイン思考」をどう受け止めればよいのか?

御園氏はこれまで5回のフォーラムを通しての率直な感想と疑問から語り始めた。5回のフォーラムを通して自分が感じたものを解きほぐして、最近よくあるテレビ番組の「外国人の目線から日本の素晴らしさを再発見」というストーリーと「ノンデザイナーがデザインアプローチを評価したのがデザイン思考」という論調に似たものを感じる、と指摘。デザイナーからすれば、自分たちのやり方が他分野の人に注目され、持ち上げられているようにも思えるが、そこでいい気持ちになっていてよいのか?
デザイン思考で語られる概念や手法の多くは、デザインの世界特有のものではない、と御園氏は言う。またその基本は昔からある問題解決手法で、昨日今日出てきたものでもない。半世紀前に新入社員としてたたき込まれた、PDCAを回す手法と全く同じである、と。
その意味で「デザイン思考」がやたらと語られる中で、デザイナーは思い上がってはいけない、と述べた。

もうひとつ御園氏が挙げたのは、このフォーラムがあくまで「デザイナーの考えるデザイン思考」だったという点だ。
第1回から第5回まで15名のスピーカーのうちほとんどは、古典的な意味でのデザイン分野の出身者だった。その中で「デザイン思考は嫌いです」という発言が目についた。もしデザイン思考が「デザインの仕事から切り出された」ものならば、自分の内臓を白日のもとにさらされる抵抗感があるのか、あるいは「手法だけを切り取られることに自分たちデザイナーは反発を感じているのかもしれない」と振り返った。
さらに自らの疑問として、ビジネスの現場において本当に「デザイン思考」がありがたがられているのか? 今までのマネジメント手法と、どこが違って何が新しいのか?
「デザイン思考が、今まで解決できなかった問題を解決できるって、本当ですか?」と御園氏は疑問を投げかけた。

 

手法としての有効性は評価しつつ、過剰な期待や警戒は無用

田中一雄氏もまた、手法としてのデザイン思考は決して新機軸ではない、と言う。デザイン思考は「デザイナーが行っていたことを、いろいろな人ができるようにしたもの」であり「天才型イノベーターを乗り越える、集合知としてのアプローチ」と位置づけた。
デザイナーも経営者もこれまで直観的な判断を行っていたが、社会や事業環境が複雑になるとともに、判断にも手法や裏付けが求められるようになった。そのとき浮上してきたのがデザイン思考、と外的な変化から説明した。
その上でデザイン思考が評価されている点を「ハラオチのよい共創型発想法」「誰でもユーザー視点の発見が可能なしくみ」と分析。あくまで仮説提示を含むプロセスであり、その手法をどう使うかはより高い次元の話として別に残る。たとえばデザイナーが長年重要な価値としてきた「美」も次元の違うテーマとして厳然と存在している、と述べた。

田中氏はデザインに対して社会的に期待が高まっている状況を、政策や社会の動きからも説明。経産省は「デザイン政策ハンドブック」を2016年に一部改訂し、デザインへの投資の効果に対する経営者の認識、デザイン思考の人材育成などに注目している。
Gマークの審査員は現在、従来型の純粋なデザイナーが半数を切っている。デザインの目標がグッドデザインからグッドイノベーションへとシフトしている、もうひとつの表れだ。こうした中でデザイン思考は非デザイナーにとって「共有できる問題解決の手法」としての期待を担っている、と説明した。

 


デザイン思考の未来──浸透から「あたりまえ化」へ?

終盤の時間は、会場を含めての忌憚のない意見交換の場となった。皮切りにモデレーターの山崎氏が、「デザイン思考の未来」をどう考えるか?という問をパネル各氏に投げかけた。

工藤氏:
デザイン思考は、今まで左脳に偏っていた問題解決思考を、全脳型に変えること。デザイン思考はデザイナーの思考方法を民主化するプロセスであり、現在はまだその途中。そして将来それが行き渡れば、デザイン思考は水道のように、意識されない存在になるのかもしれない。

山田氏:
大事なのは個別の小さな問題解決ではなく、全体を通しての大きな問題に対する観点。目の前の問題に対する解決策の出し方という話ではなく、何が本当に問題なのかをそろそろ考えなくてはならない。そしてその答えは、身体の内に直観としてあり、自分の内にあるものを探すことがこれからの課題になる。放っておくと複雑、混沌、無秩序に向かう世界の中で、どんな生き方を選択していくか、という問題が重要。

御園氏:
さっきとは逆の話になるが、デザイン思考の広まりが、デザイナーにとって覚醒のきっかけになることを期待する。企業内で一生懸命ものづくりをしているほとんどのデザイナーは、日々の仕事に追われて水面から首を上げる余裕もないのが実態ではないか。こういう言葉の広まりが、デザイナーたちに広い世界に目を向けることを促すきっかけになればよい。その意味も含めて、アメリカですでに兆しているように「デザイン思考」という言葉があっという間に流行遅れになるのは困る。言葉として消費されて終わらないでほしい。

田中氏:
デザイン思考の未来は「ふつうのものになっていくこと」だろう。以前からあったエスノグラフィやKJ法といった手法、ヒューマンセンタード=使う人に思いを致すという視点、これらを再編して名前をつけたのがデザイン思考なのだから、そもそも過大な期待を寄せるのは間違っている。
デザイン思考は万能ではないし、必ずしもすばらしいソリューションを保証するものではない。また「デザインの向かうべき道」はまた別の議論としてある。

 

デザイン思考の活用、「手法として」から「思想として」へ?

山崎氏:
以前、自分は「デザイン思考はIDEOの戦略にみんなが巻き込まれているだけ」と言って怒られたことがある。とはいえ過剰な期待を寄せるのも、無視するのも違って、役に立つものは活用すればよいこと。では今、どんなところでデザイン思考を活用すればよいのか?

工藤氏:
デザイン思考を活用できる分野は多いのだから、どんどん使っていけばよい。道具は使うことによって成熟する。ただし単なる「手法」だけではなく「思想としてのデザイン思考」として考えた方が、より本質的な解決につながると思う。
IBMで全社に浸透させようとしているのは「デザイン思考」ではなく「デザイン文化」。それはユーザーの視点から、ユーザーの気付いていない本当の課題までを掘り下げて考えていくということだ。自分がコンサルタントとして問題解決に取り組んできた経験から言えば、解決の前に問題の定義が重要。問題を正しく定義できたら、もう半分解決できたようなものだ。そのためにも、道具としてだけでなく思想としての「デザイン思考」が役立つ。

山田氏:
メソッドとしてのデザイン思考は社会やビジネスの問題解決にどんどん使っていけばよいと思う。しかし人間にはもっと大きな悩みがある。それに取り組むには「思想」が必要で、思想は幾多の手法や技術のように欧米から移入したものではなく、内発的に考える必要がある。

 

デザイン思考を社会に役立てるために

御園氏:
デザイン思考を活用してほしいのはどこかと言えば、いちばんは行政。その前提として「問題解決」と似て非なる言葉として「課題解決」という言葉を挙げたい。
問題解決は「あるべき状態」から離れてしまった現状をそこに戻すことであり、目標がはっきりしている。それと比べて課題解決は目標がわかりづらく困難だが、デザイナーの仕事のほとんどはこちらだろう。デザイン思考で問題解決だけでなく、課題解決にも取り組んでほしいし、それをいちばん真面目にやってほしいのは行政だ。

田中氏:
行政に活用してほしい、という点は共感する。さらに行政から「社会課題」に視野を広げたい。社会課題を解決するときに、生活者視点からの問題を解いていく、その手法としてのデザイン思考──それはもっと大きな広がりを持つべき。
ただし全体の議論をする中で、デザインという言葉の定義しなおしがいると思う。大きく「従来型の狭義のデザイン」、「思想を含む大きなデザイン」そしてデザイン思考がフォーカスする「発想、企画のデザイン」はそれぞれ異なる。互いに部分的な断面をとらえて話をしていたのでは、議論がかみ合わない。

 

会場の質疑からのディスカッション──デザイン思考の先へ

続いて会場からの意見や質問を受けてのやりとりが交わされた。

参加者A:
今日ここで、「デザインの民主化」という言葉が印象的だった。デザイン思考という言葉が出てきて、みんながデザインに興味を持ち、デザインの考え方を理解するようになる──それは全体としてはよいことだと思う。でも半面、デザイナーの持っていたスキルや考え方の一部が他の人に共有されたことで、デザイナーは専門性に安住できなくなったはず。世間のデザイナーを見る目も厳しくなったと思うし、外から口をはさまれるようになったのでは。
デザイン思考がこれだけ広まり、多様な専門性が重なることで、今までよりもレベルの高い創造性が出てくることが楽しみ。その中で、デザイナーの中からはさらに一歩上に抜け出る人が出てくるだろう。デザイナー個人にとっては厳しくなる面もあると思うが、デザイナーの可能性が広がって、ますます活躍できる面もあるのではないか。デザイナーはその分かれ目に立っていると思う。

田中氏:
どこかでデザインを「乗っ取られた」という発言があったが、デザイナーの視点で見ると、時代とともに自分たちの職能がどんどん削り取られている。図面作成の部分が削られ、発想の部分が削られ……さらに昨今の状況から(五輪マーク問題など)、デザインの価値が危機にさらされている。デザイナーのプロフェッショナリティを問い直さなければならないときに来ていると思う。

工藤氏:
自分の受けている印象はちょっと違う。アメリカでは企業各社からデザイナー人材が引っ張りだこになっている。デザイナーには従来の職能に加え、ファシリテーターとして多種多様な人材をまとめ、デザイン思考をリードしていく役割が求められている。欧米で私が会うデザイナーの多くは、そちらへ軸足をシフトしつつある。
なので「デザインを乗っ取られた」という言葉は、自分にとっては意外だった。ノンデザイナーの立場からすると、やっとデザイナーのみなさんが考えていることを理解できるようになった、という感覚。

山田氏:
自分は、このフォーラムの参加者がほとんどJIDA以外の人ばかりになったとき「乗っ取られた」と言った記憶がある。自分の気持ちとしては嬉しい半面、少数派となったデザイナーとして何か言わなくては、という使命感があった。
そのときに考えたのが、美意識ということ。美はデザイナーにとって当たり前のことだが、全デザイナーがそのことを真剣に考えてきたかというと、そうでもない。
W.D.ティーグは1940年代に「美はあらゆる秩序や善や健康の概念、そしていっそう完全な生命の概念を連想させる」と言っている。彼は半世紀以上前に、インダストリアルデザインの観点をそこに置いていた。我々デザイナーがそれを真剣に考えているか、自らの反省も含めて問い直したい。

田中氏:
みなさんお気付きのとおり、同じ会社でも山田さんと私は意見が違う(笑)。美は否定しないし、きわめて大事なことだと思うが、今のお話はデザイン思考のフォーラムとは別の議論だと思う。

御園氏:
このままだとデザイナーは失業するのか?という問には、ノーだと思う。デザイン思考は「みんなの知恵を集めていいものを作りたい」という手法。一人のずばぬけた知恵がないときに、みんなで集まって議論する。
以前どなたかが話していたが、どれほどの手法があろうと、一人の天才にはかなわない。オリジナルのアイデアを出す人間は一人。デザイン思考はその程度のものと考えておけばよいと思う。
一方でデザイナーに対してこれまで自分が抱いていた不満もある。今までのデザイナーは、スキルはあっても言葉を持っていなかった。デザイナーでない人の方がデザインの言葉をよくわかっているのでは、悔しいじゃないか。デザイナーだって他の人、特に経営者と話す言葉を持たなくてはならない。
ひとつだけ言っておきたいのは、デザイナーのクリエイションは、理屈を越えたところにある。だからメソッドでは解決できない。見えない未来をあたかもあるもののように見せる力はデザイナー独特のもので、だからデザイナーは失業したりしない。
「想像された未来を現実のものとして扱い、見たこともないものを現実化する方法をつきとめなければならない」。これは1927年に生まれた、ジョン・クリストファー・ジョーンズという人の言葉。

参加者B:
質問が2つある。1つ目は「40万人がデザイン・シンカーになる」というお話があったが、それができたら、そのあとデザイナーは何をしたらよいのか?
もう1つは共創型メソッドについて。共創型の手法は企業の課題解決には便利。でも社会の中には自殺とかテロとか、思想、宗教、歴史などのからむ問題がたくさんある。そこにもこうした、共創のメソッドが役立つのか? デザイン思考は会社とパートナーだけの世界でなく、社会の中にある問題にも役立つのか?

工藤氏:
1つ目の質問には、現在IBMでは1万5千人がデザイン思考の教育を受けている。1人にだいたい5年くらいかかるので、40万人に浸透するのはだいぶ先のこと。そして40万人が全員これを使ってお客様の問題に共感しイノベーションを起こしていくかというと、そうはならないと思う。
共創によるイノベーションは、デザイン思考に限らず今までもあった。以前からあったものに何かが加わって、新しい手法として使われていくのは常。手法を知っていればイノベーションを起こせるというわけではない。手法はイノベーションの生まれる確率を高める程度のもの。天才のいないところで確率を上げていくのが手法。
イノベーションには常にジャンプがあって、そのジャンプは人間のひらめきが起こす。手法で改善は起こせるが、人間のひらめきが関与する部分はそう簡単に変わらない。

田中氏:
2つ目の問のように、社会問題も解決できるようになりたいと思う。そのために打率を上げることがデザイン思考の未来だが、そのために40万人はいらないのではないかと思う。
デザイン思考は魔法の杖ではない。プロセスの途中に発想力のない人がいると、足を引っぱるということも起きる。むしろ、創造的な発想のできる人を増やすことの方がカギではないか。絵が描けなくてもクリエイティブな発想のできる人はいる。その発想力をどれだけ伸ばすか。従来のデザイナーだけでなくクリエイティブ・プランナー、イノベーション・プランナー、そういった人をどれだけ増やせるか。そこにデザイン思考の「次」の展開がかかっているのではないか。

山崎氏:
日本人の流行好きなところがこわい。たとえばヨーロッパではいろんな考え方、多様なデザインへのアプローチが同時にある。日本はデザイン思考ならデザイン思考の話ばかりになるのが危ない。デザイン思考にこだわらず、たとえば社会問題なら社会問題の解決に最適な手法を提案すればいい。
それはつまり、デザインのメソッドをデザインしよう、ということ。すでにあるメソッドを使うのではなく、新しいデザインのやり方をデザインして、世界に提案していくこと。自ら手法を作り出し、発信してほしい。GKだってただデザイン思考をやるのではなく、GKのデザイン手法を世界に対して発信してほしい。
デザイン思考は知っておくべきことだが、みんながデザイン思考に踊らされるのはおかしい。そこの発想の転換が必要。「デザインのやり方」をデザインし提案することを考えないのがいちばん危険。
いろんなアプローチを知った上で、自分たちの文化に合ったやり方を提案すべき。日本人はメソッド好きなので、いろんなメソッドを覚えて、使ってみて「ダメだ」となるが、そのやり方を変えなければいけない。
IBMでは「IBMのデザイン思考はIDEOのデザイン思考とは違う」と言っている。今のデザイン思考は「IDEOのデザイン思考」なんだから、それをそのまま使っても役に立たないはず。そこに気付かなきゃいけない、そこの議論をもっとしなければいけないはず。それが僕の個人的な意見です。

山田氏:
それほど日本人は軽くないと自分は思う。これまで外圧で動かなきゃならない時代を長く経験して、今やっと世界の仲間入りをできたところ。今から自分の内発的なデザインの思考を持たなければならないときだし、日本人にはそれができると思う。
ここにいる多くの方々にも、内発的なデザインの思考を持ってもらいたい。そのためには、自分がどこから生まれて、何によって今の自分が形作られているかを、もっとよく考えるべきだと思う。多くの命の中をくぐり抜けて、今ぼくらはここにいるのだから、そのノウハウはぼくらの身体の中に間違いなく入っている。

参加者C:
さきほど話題になっていたデザイン思考の活用について、自分が思うにデザイン思考は、デザインの考え方をデザイナー以外の人が理解する上では、ひじょうに役立つ。
デザインを活用する、実行するとは製品になることで、製品化されないデザインは活用されない。デザイン思考によって、デザイナー以外の人がデザインを理解することができるようになる。実行される前のデザインプロセスを理解することに活用できるのではないか。デザイン思考は、デザイナー以外の人々がデザインを評価する上でも使われるべきではないか。
「デザイナーの職を脅かされる」という話もあったが、知識は持っているだけでは役に立たないし、知識を持っていても感じる力とは別。デザインにはdon't think, feelの面がある。デザイナーの大きな力は感じること。感覚のことをセンスと言うが、デザイナーは感じる力をたくさん持っている。それがあれば職を脅かされることはないのでは。

浅香氏(前JIDA理事長):
フォーラムを通して感じてきたことだが、デザインがなかなか同じ概念で共有されない。これを定義しないと、公開の場でデザインを議論できない。「Design」と「デザイン」は違う。そこをしっかり定義して、デザイナーの力を、デザイン思考に反映させるべき。
デザイナーは思いを形にできる人だが、デザイナーも環境の変化、ビッグデータ、IoTなど新しい未来に立ち向かわなくてはならない。ものづくりのしかた、しくみが変わろうとしている以上、「デザイナー」もこれまでの知識と専門分野に安住してはいられない。

 

2013年から足かけ4年にわたる連続フォーラムは、2016年10月の第6回をもって幕を閉じた。
「登壇者の多くが旧来のデザイナー出身者だった」(御園氏)ことは、いわゆる『デザイン思考』を議論する上では一面的だったかもしれない。しかし『デザイン思考』に軸足を置きつつ、より幅広く「デザインをめぐる思考」に話題が広がったことは、この連続フォーラムの魅力でもあった。
「デザイン思考」への社会的注目はデザイナーにとって、外部から見た「デザイン」を意識するとともに、デザインの内にあったものをあらためて意識するきっかけでもあった。デザインにより複雑な役割が求められる現在、仕事のプロセスを今までのようにブラックボックスのままにしてはおけなくなることは、デザイナー自身にとってハードルであると共に、新たな力を発揮する機会でもあるととらえたい。

6回のフォーラムをレポートして

最後の回となったこのフォーラム終盤、機会をいただき、これまでの記録係としてこんな感想を述べさせていただきました。

──デザイン思考という言葉の流行は、今まで主にデザイナーが取り組んできた「決まった正解のない問題」に取り組むことが重要な仕事だと世に知らしめた点では、デザイナーの存在意義を示してくれたと思う。構造的なロジックや分析だけでは解決できない問題があること、そしてデザイナーにはそうした問題に取り組む能力があるということが、ビジネスや社会の中ではっきり目に見える形になった。以前、ある中小企業の社長がデザイナーを採用するときに「実際にやる仕事がデザインでなくとも、デザイナーは答のない問題に取り組むことができる」と言っていたが、複数の要因がからみ合うあいまいな問題に対して、デザイナーはクリエイティブな解決策を生み出す力をもともと持っていて、デザイン思考はその一端を方法論化したもの。──

フォーラムを通して多くの方が指摘されてきたように、これはデザイナーにとって新しい役割を求められると同時に、今まで言語化してこなかった自分たちの役割や力を見直すチャンスでもあると思います。
デザイナーにとって腑に落ちる説明と、デザインの外側に対して訴求力を持つ論法に違いがあるのは当然でしょう。そのことでデザイナーがとまどう必要はないのではないでしょうか。もともとデザインという取り組みの中には多様な力が潜在しており、そこから出てきたのが「デザイン思考」だと思えば、デザインはもっと目に見えない広がりを持っているはずです。そんなことを、6回目のフォーラムを終えて感じました。
(記録係・井原)



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■執筆者
井原恵子

●日程:2016年10月6日(木)

●会場:東京ミッドタウン・デザインハブ(六本木)

    港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5Fリエゾンセンター

    http://www.designhub.jp/access/

●主催:(公社)日本インダストリアルデザイナー協会 ビジョン委員会

●協力:(公財)日本デザイン振興会/日本デザイン学会プロダクトデザイン研究部会

●プログラム

基調講演「IBMのデザイン思考の実践と未来」
工藤 晶(日本IBM株式会社 インタラクティブ・エクスペリエンス事業部長)

トークセッション「デザイン思考とデザイナーの思考」 
工藤 晶
田中 一雄(JIDA理事長 ビジョン委員会)
御園 秀一(JIDA理事 ビジョン委員会)
山田 晃三(JIDA理事 ビジョン委員長)

モデレータ: 山崎 和彦(千葉工業大学デザイン科学科教授、JIDAビジョン委員会)


■講師プロフィール

●工藤 晶 (くどう あきら)     
IBMインタラクティブ・エクスペリエンス事業部長。慶應義塾大学卒業後、外資系コンサルティング会社を経て現職。

IBMStudiosGlobalLeadershipTeamのメンバー、IBMグローバル・ビジネス・サービス部門において、多くの企業へのコンサルティングに従事、アジアパシフィックサプライチェーン本部長、エレクトロニクス事業部長、SAP事業部長など歴任。デザイナー、戦略コンサルタント、エンジニア、データサイエンティストの多彩なタレントからなるIBMインタラクティブ・エクスペリエンス事業を統括。

 

●田中 一雄 (たなか かずお)     
JIDA理事長。ICSID(国際インダストリアルデザイナー協議会)理事を経て、現在GKデザイングループ代表。

社会・経済・文化」の3視点からデザインの本来的価値に迫る。デザインの正義を思考。

 

 

●御園 秀一 (みその ひでいち)     
JIDA理事。元トヨタ自動車デザイン本部副本部長。

オールトヨタデザインのフィロソフィーの確立を導き、千葉大学客員教授など歴任。叩き上げのデザイナーとしての信念の中で、デザインを見定める。

 

 

●山田 晃三 (やまだ こうぞう)     
JIDA理事。ビジョン委員長。GKデザイン機構取締役相談役。

時々のデザインの「先端」から、普遍的なデザインの「基層」を導きたいと思考する。ひとの内なる生命力にデザインの原点を見る。

 


●モデレーター:山崎 和彦 (やまざき かずひこ)     
takram design engineering
千葉工業大学デザイン科学科教授
Smile Experience Design Studio代表。

京都工芸繊維大学卒業、2002年博士(芸術工学)号授与,2003年日本IBM(株) ユーザーエクスペリエンスデザインセンター・マネージャー(技術理事),2007年 より現職。JIDA理事、人間中心設計機構副理事長。教育とデザインに関わるコンサ ルティングに従事。おもな著書は「エクスペリエンス・ビジョン」。iF賞、IDEA賞 など国際的なデザイン受賞多数。


●記事執筆:井原 恵子 (いはら けいこ)     

東京芸術大学美術学部卒。1986年より2000年までGKデザイングループにてデザインリサーチおよびコンセプトスタディにたずさわる。その後フリー。デザインリサーチの他、デザイン関連の記事執筆、翻訳を手がける。2005より2009年まで 九州大学ユーザーサイエンス機構客員準教授、2004年より相模女子大学非常勤講師。

 

 

更新日:2017.09.07 (木)